絵で見る人物伝 織田信長
むかしむかし。戦国時代。
愛知県に織田信長という戦国武将がいました。
1560年。信長はビックリしました。
想像図↓
何に驚いたのかというと…
東から強敵が攻めてきたのです。今川義元です。
敵は大軍です。信長の兵士はわずかしかいません。
ピ━━(゚∀゚)━━ンチ
ここで信長はどうしたか…。なんと、踊りだしました。
信長、落ち着いて!
信長は「人間五十年〜」というお気に入りのダンス&ソングで気合を入れました。いざ、出陣!
敵は大軍です。でも敵のリーダー今川義元のいる本隊だけを見れば、人数はそれほど多くありません。信長はそこを突きました。
今川義元はすっかり油断をしていました。
信長は勝ちました。「桶狭間の戦い」です。
敗れた今川家はみるみる衰退しました。
信長には勢いがあります。その気になれば今川家を完全に滅ぼすこともできたかも知れません。もしそうしていれば、今川家の豊かな領土が手に入り、信長は戦国武将としてレベルアップできたはずです。
しかし、信長はそうしませんでした。
彼は天下を意識していました。当時の戦国武将が細かい領土争いにあけくれる中で、信長だけは「日本を丸ごと取る」というとんでもない夢を抱いていました。
人生五十年です。寄り道をしている暇はありません。
天下をとるためには京都を手に入れなくてはなりません。京都は、今川領とは反対の方角にあります。
信長は今川領には目もくれず、京都を目指そうとしました。
そのとき…
衰退した今川領から、あたらしい勢力がムクムクと出てきました。
徳川家康です。
信長はいいました。
「家康くん、同盟をむすぼう」
「同盟?」
「僕は京都のある西へ進みたいんだ。だからきみ、東の守りを頼むよ」
「はーい」
1562年、同盟は成立しました。
こうして信長は心おきなく京都を目指すことになります。
信長は京都を目指しました。
でもただガムシャラに突っ走るのは危険です。そんなことをすれば周辺の戦国大名とギクシャクしてしまいます。
周りの戦国大名たちと仲良くなっておく必要があります。
信長はまず、上杉謙信と使者をかわして仲良くなりました。
「新人の織田信長です。よろしくお願いします」
これが1564年のことです。
さらに1565年。信長は武田信玄とも同盟を結びました。
「信長です。どうぞよろしく」
「桶狭間の活躍は聞いてるよ。まぁ頑張りたまえ」
根回しを終えた信長は、ついに本国の尾張(愛知県西部)を飛び出しました。
そして、ホップ、ステップ、ジャンプ。
一気に京都を攻め取りました!
こうして信長は中央政界に進出しました。なにもかも順調です。
しかし、ここで人生で最大の試練がおとずれます。
「信長は生意気だ!」と各地の戦国大名たちが怒り出したのです。
しかも。
信長はとんでもない男を敵に回してしまいました。戦国最強といわれた武田信玄です。
信玄は「なに?信長はそんなに生意気なのか。どれ、おれが行ってやっつけてやろう」と出撃しました。
信玄は山梨県を出発し、信長のいる京都へ向かいました。1572年のことです。
信長には心強い同盟軍がいます。徳川家康です。
家康は信玄に立ち向かっていきました。
これが「三方ヶ原の戦い」です。がんばれ家康! 負けるな家康! そして…
家康、負けました。
_| ̄|○
家康を破った信玄は、そのまま西へ進みました。もちろん織田信長をやっつけるためです。
信長は困りました。同盟軍の家康が敗れた今、信長はますます孤立してしまいました。
┌|゚听|┐ど、どうしよう…
ところが、武田信玄は途中で亡くなってしまいました。
病死です。鉄砲で撃たれたという説もあります。黒澤明監督の映画『影武者』では鉄砲説をとっています。
とにかく、信玄は亡くなりました。信長はとりあえずホッと一息。
それにしても困るのが、包囲網です。信長をぐるりと囲んでいます。
この包囲網にはかならず黒幕がいるはずです。
信長がふと足元を見ると…。
いました。室町幕府15代将軍、足利義昭です。
黒幕はすぐ足元にいたのです。
信長は怒って、将軍を追放しました。
こうして1573年、室町幕府は滅亡しました。
その後、信長包囲網はだんだんと崩壊していきました。
危機を脱した信長は、羽柴秀吉、明智光秀、柴田勝家、丹羽長秀、滝川一益などの優秀な武将たちを各方面に派遣し、どんどん勢力を拡大していきました。
武田信玄につづいて上杉謙信も亡くなりました。1578年のことです。
信長はのびのびと活動できるようになりました。配下の武将をどんどん各地に派遣して領土を広げていきます。
でも…
ということは…
本部にいる信長のもとには、あまり兵力が残っていないということです。
つまり無防備。
そんな中、信長は家臣の明智光秀に命じました。
「中国地方を攻めろ」
「はい」
光秀は軍勢をひきいて出撃しました。
しかし…
光秀は中国地方には向かいませんでした。
「敵は本能寺にあり」
光秀は京都の本能寺に向かいました。本能寺には信長が宿泊しています。
光秀、謀反!
無防備だった信長はあっさりと負けて、自害しました。1582年、本能寺の変です。
織田信長はこの世を去りました。
信長が亡くなったあとの戦国時代がどうなったかというと…。
皆さん普通にご存知のことですが、一応。
信長を討った明智光秀は一瞬だけ天下の覇権をにぎったようにも見えましたが、すぐに秀吉に討たれます。
その後、秀吉が天下を取り、日本は統一されました。
最後まで見てくれてどうもありがとうございました。
おしまい。
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